好きな本で
「死ぬことと見つけたり」隆慶一郎 著
があります。
父親の影響で読んだ
時代小説です。
葉隠の 有名な一節が
印象に残るタイトルも好きです。
みんながきっと
多分
誰しもが通る
幼少期の
『死』
に対する恐怖。
得体の知れない
底知れぬ恐怖を自分は
人一倍感じてしまう子供でした。
そんな自分が
武士の切腹に
そして
神風特攻や、
自死に
興味を持つのは
当然でした。
初めて触れた「死」
一番古い記憶を辿ると
曽祖父が自宅で亡くなった時だったと思います。
母が 朝 曽祖父がなくなっているのに気づいて
叫んでいる記憶が
うっすらと あって
でも
その後の記憶が全くありません。
断片的な記憶ですが
その次は 母方の祖父がなくなったときです。
母が泣いている姿が
いまだに忘れられないです。
実際に 「死」に触れたのは
この時が初めてだったかもしれない。
真っ暗で先の見えない 得体の知れない恐怖
その後小学生の低学年ぐらいになった頃
時々
得体の知らない「死」への恐怖が
襲ってきて
答えのない恐怖に怯え
泣き出し
親にしがみつくような子供でした。
三島由紀夫の話
母が自衛隊で働いていた頃に
三島由紀夫が自決したという話を
何にかの拍子で聞いたのを 今でも 憶えている。
幼心に 強烈な印象を与え
そして
恐怖と 疑問も・・・
残した。
結局
自分はビビリの性分なんだろう。。
愛する人を亡くすこと
祖母、伯父 知人
そして 最愛の兄も逝った。
身近な人を失うことは
耐えがたい苦痛であり
己の「死」に対する恐怖を上回るものになった。
もちろん
今でも自分の死は怖いが
愛する人を亡くすことの方が遥かに怖い。
できれば あの苦しみは
味わいたくない。
不可能不可能だけど。
忘れる 薄まる恐怖
ただ
どれれだけ 辛いことも 悲しいことも
苦しいことも
時間が経つと
少しは薄まる。
決してなくなりもせず
たまに 発作のように
激しさを増して心を
襲ってくる・・・
日常的には 忘れてしまう。
死生観と訓練
話を戻して
なぜ
「死ぬことと見つけたり」が好きなのか?
ストーリーや登場人物
言葉遣い、言葉回し、言葉選びも好きなのですが
1番は 美意識と美徳です。
人としての生き方。
生き様、
そして 死に様。
生きることは 死ぬことでもあって
でも すぐに
死を忘れがちになってしまう。
だから 毎日、自分自身の死を感じる訓練
(イメージトレーニング)
をすることから1日を始めるというところ。
誰もが怖い 死に対する
訓練をすることによって
武士の美徳が作り上げられたことに
とても 痺れました。
当然、誰もができることじゃないけど
それこそが
生きることであり
生きる意味であるとも感じたからです。
死ぬからこそ
どう生きるかが大事だと思うし
生きる意味は いまいちわかんなくても
どう生きたいかはある。
から。
きっと そこに
何かは あるはずだから・・・
って・・・
そんなふうに 毎日
思いながら
生きていきたいし
人に触れていきたい。