プロフィール

18歳でイギリス・ロンドンに留学した時のエトセトラ1998年

1998年 ど田舎の高校を卒業したばかりの18歳の かっぺ男子が

ヘアメークアーティストを目指して ロンドンに 知識、情報、技術、知り合い 全て

ゼロの状態で飛び込んで 1年半の間 いろんな方の支えのおかげで なんとか

生き永らえた思い出を

20年以上経った今 ウル覚えですが 汗)当時の記憶を頼りに 綴っていきます。

ロンドンに行くまでの道のり

インターネットもない当時 どういう理由でロンドンに行くことを決めたのか?

今思うと 無知で本当にバカだな〜と思います。

高校入学時の衝撃

中学生で無駄に勉強ができた自分は

田舎の進学校に 間違って入学してしまいました。

99、9%が大学進学する学校で 同級生は今 お医者様や国家公務員などなどエリートも

多く、先輩にはZOZOの田端さんなどを輩出している地元では有名校です。

周りの生徒も 先生も入学した当初から 大学進学を信じて疑わず そのことが当たり前の

風土の中、なかなか中二病が治りきらない自分は 茶髪頭でイキっていました。

高校に入学するまで その先のことまで深く考えていなかった自分には

当たり前のように大学に進学すること、

それ以外の選択肢がないかのような周りの反応に

とても衝撃を受けました!!

 入学して早々に 大学進学路線からドロップアウトを考えました。

普通は高校を決める時点で 皆さんはちゃんと考えるのでしょうね。。

この時点で変わっていました。汗。

高校の後は、何して 生きてまいりましょう?

 大学進学しない→じゃあ、どうやって これからご飯を食べていこう??

お金儲けだけが 幸せかな〜??とか 考えつつ

色気付いた 男子高校生の自分は とりあえずカッコつけたくて。

鏡ばっかり見てました。(アホ  暇。)

そんなある日、近所の美容室で髪の毛を切ってもらって

ノリノリでチャリンコ(自転車)で帰っている時に 

ふと、

単純に 美容師ってかっこいいかも?

女子にモテそう!!(結局 オトコはこれ。)

 美容師になろう!って決意しました。

当時まだカリスマ美容師もいないのに ほんとバカですね〜

いまだに 美容師やって生活できているのは 本当にラッキーです。

時代に恵まれました。。

そんな感じで 留学を決める前に 職業を決めました。

美容師になるためには?

周りに美容師さんの知り合いもいません。

中学時代は野球部で丸坊主。床屋さんしか行ったことがなくて 

美容室に行くことに いまだに緊張してしまうような当時のチェリーボーイ。

美容師になる!!決意はしたが いまいちどうしていいか わかりません。

グーグル先生がいないから 本屋さんの専門学校エリアで

美容師免許について調べました・・・が・・・

いまいちよくわかりません。

どうせなら 都会に行く?

当時の彼女が大阪に行くっ言ってたから 一緒に大阪に行く??とか??(安直すぎて辛い)

とにかく情報を集めるのが 下手くそでした。

とにかく 当時の美容学校に魅力をまったく感じれなかったことは確かでした。

勇気を出して美容師さんに相談した時、

「大変だよ〜」

自分「・・・」(チーン⤵︎)

(え??この人 楽しんで仕事してないの??全然幸せじゃないじゃん??)

今なら その美容師さんの気持ちもわかります・・・

でも当時のかっぺ学生には とてもショックでした⤵️

美容師にはなりたいけど 目指したい憧れの人物やモデルケースなども無く

学ぶための学校環境にも魅力を感じれないまま

将来への不安、不満を抱えたままの高校生活は 悶々とすごしていました。

きっかけの一言。by おとん。

高校生活でも周りから 浮いてる自分は 学校に行く意味を感じなくなっていました。

意を決して 父親に その旨を伝えました。

普段 ほとんど自分の決断を尊重してくれて

1度も 勉強しろ!!って言わなかった 父上。

高校を止めるのは反対。

でも美容師は賛成。

ただ・・・どうせ目指すなら

『一流を目指しなさい。』

痺れました。

この一言で ほぼ 「ロンドン行き」が 決まりましたし、

自分の人生の生き方が決まりました。

結局、情報は本。

一流は 世界一でしょ!!(さすが バカの発想)

ということで 向かったのは またまた本屋さん。(当時BLOGの体験談もなかったので)

目指すは留学コーナー!!

ファッションといえばパリコレ!!と思い

まずは おフランスの・おパリ留学を調べましたが

フランス語わかんないし・・・ 英語ならわかるかも?と思って

選択肢は アメリカとイギリス。

イギリスはフランスも近いしイイかも??

ペラペラめくっていくと メチャクチャ小さいページを発見。

美容留学。ヴィダルサスーンの学校。

「ヴィダルサスーン!!」聞いたことがある!!あのシャンプーの。

これだ!!

このちっちゃいページのこの些細な情報が 

自分のロンドン留学の決め手になりました。

決意が決まれば 決心なんて どんな理由やきっかけでも

決まるのかもしれませんね??

ロンドンに行くまでにした3つのこと

大した準備を できたわけじゃないですが しておいて良かったことを少しだけ。

英語の勉強

ありきたりですが やっぱり語学は大事でした。

基礎的な部分だけで コミュニケーションを取るだけなら充分!だと自分は思います。

ただ、できるだけ 若いうちに語学は学んだ方がイイと海外に行ってから思いました。

いろんな世代の方が通う英語の語学学校で やはり 努力に対する成長の度合い

年齢が関係しているな〜と実感したからです。

実際自分は 英語の勉強をやめていた留学して半年ぐらいの時 

急にリスニングが上がりました!!(まるで 宣伝のスピードラーニングのように)

ある日を境に 突然 気づいたら。急激に!!なんです。ほんと 不思議なのですが。。

年齢が上がると 労力がかかるかと思われますが 決して無理ではないと思いますが

自分自身は10代で留学して 本当に良かったと思いますし

20年近く経って行った 去年のハワイでの1ヶ月の滞在も問題なかったの

脳みそが まだ柔らかっかった!からだと 勝手に思っています。

資金作り

高校1年生で ロンドン行きを決意して 部活もしていたので実際

アルバイトをしていたのは1年未満ですが 自己資金は50万ぐらいですが

貯めて行きました。

あっという間に 留学後なくなりましたが やっぱりお金はどこに行っても大切ですね!!

日本でも もちろんですが 海外でお金がなくなると かなり切ないです。

ほんの一瞬ですが 日本円で約2000円の所持金しかなくなった時 わびしく

怖かったです。冷や汗。(でも周りの方が守ってくれました。感謝、感謝。)

銀行口座作り

当時はシティバンクが個人でも普通に使え クレジットカードも便利に使えましたが

学校の授業料など 高額な海外送金や入金が割と簡単にできて

現地の銀行口座も割と簡単に作れました。ちなみに Barclaysというイギリスの

大きい銀行で Barclays japanもあるみたいですね。

ただ多分 今はこの海外送金が とても大変で面倒くさそうですね!!

マネーロンダリング??防止??

去年 海外送金の準備をしていた時 かなり面倒でした。(結局しませんでしたが)

2018年に 法律が変わったらしく

マイナンバーの準備や お金の出所や 目的、また送金先の海外の銀行の詳しい情報など、

今 インターネットのおかげでだいぶ 留学はしやすくなっているみたいですが

お金の出し入れに関しては 最近の方がデリケートなのかもしれませんね??

いざ ロンドン。

約20年ぐらい前の ことになるのでだいぶ変わっていることの方が多いでしょうが

振り返って逝きます。

住むところ

ロンドン滞在の1年半の期間で10回ぐらいの引越しをしました。

ホームステイ。ルームシェア。ホームシェア、一人暮らし・・・

家具や家電、食器などが付いている物件が多かったので

トランクケース一つで 引っ越せる身軽さと 1週間単位での家賃の支払いシステムが

あったから 気軽に引越しをしていました。

ホームステイ

18歳。初めて親元を離れての生活は ホームステイでした。

日本を離れる時、両親に見送られ 母親は泣いてました。その気持ちを当時の自分は

うまく感じ取れないまま いざロンドンへ。(ほんと バカ息子)

ヒースロー空港に着き 日本で申し込んでいた留学斡旋会社が準備してくれた 最初に通う

英語学校(初めの3ヶ月、英語学校に通うことを日本で 事前に申し込んでありました)

の先生が 出迎えボードを持って 迎えに来てくれていました。

さてさて ロンドンの第一印象は

おいおい 本当に来ちゃったよ!!(って軽い感じ)

いやいや まじ外人何言ってるか?さっぱり わかんね〜??

でしたが なんとか送迎してもらって ホームステイ先へ。

初めてロンドンはスイスコテージ(swiss cottage)。

英国人が住む家庭の 閑静な高級住宅街で都心への

アクセスもよく日本から派遣された在留日本人エリートサラーリーマンにも

人気の場所でした。

桜が咲いてて ビックリしたのを今でも覚えています。

英国人のホストファミリーは 良い人で 朝食と夕食が付いていて 味は美味しくは

なかったですが 全然 自分的には問題なかったです。

トルコ、カザフスタン、イタリアからの留学生たちもいる  多国籍なお家でした。

唯一の 問題はとても お金がかかることでした。

食事があることを踏まえても ルームシェアやハウスシェアに比べると

倍ぐらいのコストがかかることを 現地に行ってから知りました。

英語学校に通う3ヶ月は ホームステイをする予定でしたが

ロンドンに来て2週間ほどで ルームシェアを探し始めました。

ルームシェア

当時、ピカデリーサーカスという ロンドンの中心部に

 JAPAN CENTR(通称 ジャパセン)という 日本の食料、雑貨、雑誌、漫画など

結構なんでも置いてある場所があり そこの掲示板に 日本人のルームシェアを

募集していました。あとはそこに置いてある フリーペーパーにも情報が載っていました。

そこで探したところが ロンドンで2番目に 住んだ場所エレファント&キャッスルです。

ロンドン南部にある街で テムズ川を越えると治安が悪くなると言われていた

黒人の方が多く住む街でした。

ここに決めた理由は二つ。

⑴家賃がホームステイの3分の1。

⑵同じ18歳の日本人がルームメイトだった!

からでした。

家賃が3分の1なのも すごく大きな理由でしたし

当時18歳の留学生は意外と少なく(キャリアアップの社会人や、お仕事関係の方、大学生

などが多く感じた。)とても親近感を覚えました。

フランス人の家主さんで 色々ファンキーな方で

治安は怖っかったりしましたが ワイワイ楽しかったです。

ここには3ヶ月くらい住みました。

ハウスシェア

ルームシェアで出会った同じ年のルームメイトは 小学生からイギリスに住んでいて

今は、もう、無いらしいのですが イギリスにある日本人学校に通っていて高校卒業まで

寮暮らしをしていたそうです。

そして 自分と同じ春から 新生活を始めていました。

7、8年イギリスに住んでいるので 色々教えてくれて とっても助かりました。

息も合い とても仲良くなりました。

そして よく部屋に遊びに来ていたもう一人の

彼の友達(日本人学校の同級生)と3人でハウスシェアをしようということになりました。

2階建ての3LDKおうちを 同じ エレファント&キャッスル地区の

さらに駅から遠い場所に借りました。

駅から遠いこともあり こちらも家賃が安くて

この物件は現地ロンドンの新聞から見つけました。

この3人での共同生活が自分のロンドン滞在で一番長かった 半年ぐらいを

過ごしました。

その後 それぞれの学校の事情や 自分自身の滞在1年の時の一時帰国などの理由で

ルームシェアを転々としました。

・クィーンズウェイ

・ラッセルスクエア

・ウォーレンストリート

・ベイズウォーター

・キルバーン

・サウスケニントンなど 記憶が曖昧です・・・でも楽しかった。

一人暮らし

1年間 ロンドンに滞在して 日本に一時帰国をしたあと 再びロンドンに戻りました。

当初の目的の美容学校・ヴィダルサスーンも卒業していて

今度は3ヶ月間の短期でトニー&ガイ美容学校に行きました。

その時に初めて シェアじゃなくて本当に 自分一人だけで生活をしました。

場所は シャーロックホームズで有名な ベイカーストリート。

ロンドン中心部から割と近く 観光地でホテルなども多く 便利な場所でした。

寂しさもありましたが 共同生活独特の プライベートが無い感覚に 疲れ始めていた頃

だったので 一人だけの生活は新鮮でした。

好立地のロケーションの物件でしたが めちゃくちゃ狭く 古かったので

自分でも借りれました。ここが自分のロンドン滞在の最後の場所になりました。

休日の過ごし方

当時は学生で 本当にお金がなくて できるだけお金がかからない遊びをしていました。

それでも楽しかった記憶ばっかりです。

マーケットとショップ

週末になるとロンドンでは有名な青空マーケットがたくさん開かれます。

衣類、食料、家電、車、レコード、骨董品などなど、眺めてるだけでも充分楽しいですし

値段も交渉次第で びっくりするくらい破格になったりして お金があんまりなくても

それなり楽しんでいました。

パーク文化

何と言っても 自分が1番好きだったのは パーク、公園です!!

ハイドパークやリージェントパークなど有名な公園も もちろん素敵ですが

ロンドンの街中には 大小 たくさんの公園が いっぱいあります。

天気の良い日は(あんまりありませんが)公園でランチをしたり

週末 ピクニックしたり、

ただ芝生の上で まったり のんびりしたり・・・

サッカーしてると いろんな人種が寄って来てくれて

よく一緒に多国籍サッカーをしたりしていました。

この公園で過ごす時間、 週末を大切にするリズムが

外国でのいろんな、うまくいかないことや 将来への不安などを

癒してくれた 自分にとっての大切な場所でした。

色々あるけど やっぱりロンドンが好き

だいぶ長くなっちゃたので ヴィダルサスーンの美容学校のことなどは また別の機会に

書くことにして。

20年以上経った今でも 思うことは 

ただただ 青春時代が楽しかったのだけ?かもしれませんが

差別や階級社会 移民コミュニティ。

世界経済、宗教的歴史背景などなど

から産み出される 

ファッション。

パッション。(情熱)

ミュージック。

そしてパーク文化。

そんなロンドンが

自分は 大好きです。

あれから 2度ほど 旅行と研修で訪れましたが、

変わらず好印象です。

ちょうどいい都会が 自分にとってのロンドンなのかも??

またいつか行こう!!

ABOUT ME
浜田裕樹
ロンドン留学や東京で美容師としての修業を積んだあと 愛する地元である石川県に戻る。1度はハワイに移住を考えるが断念。 今は、ワクワクする人生を過ごすため  今後の夢は、石川県をベースに美容師を続けながらも 毎年1〜2ヶ月は旅に出る生活をすること。 詳しいプロフィール